「未見坂」(堀江敏幸)②

堀江敏幸の限りなく穏やかな物語世界

「未見坂」(堀江敏幸)新潮文庫

若い部下を自宅に集め、
飲み食いさせる秋川課長は、
酔っ払うと身のまわりの品物を
あげてしまう癖がある。
今日も肥田さんは
電子レンジをもらって帰宅した。
課長は
強引なところがあるものの、
人望があり、
部下思いであった…。
「苦い手」

堀江敏幸の連作短篇集「未見坂」は、
前回取り上げた3作のほかに、
まだ6作品が編まれています。
連作短編集といっても、
9編は筋書き自体には
まったく繋がりがありません。
「未見坂」という名の坂のある
架空の町を舞台にした作品集なのです。

修子さんは
三十半ばで理容学校に入り、
理髪店を継いでいる。
父が亡くなり、
母一人となったからだ。その母は
無灯の自転車に衝突され、
入院している。
町ではスーパーの店員の
松本さんの行方が二週間前から
わからなくなっていた…。
「方向指示」

共通しているのは主人公の家族構成が
少ないということでしょうか。
「プリン」と「消毒液」以外の7編は、
みな二人暮らしです。
昨日の3作は母子家庭、
残り4作は30代、40代の独身者と
高齢の母親(または義母)の
二人暮らしなのです。
架空の町、とはいえ、
おそらくは地方の過疎の町という
設定なのだと思います。

義母と二人暮らしの泰三さんは、
義父から引き継いだ
商店を営んでいる。
商店の裏庭には、
廃車となったボンネットバスが
放置されていた。
泰三さんは、かつてはその
ボンネットバスを使って、
移動式スーパーを
運営していたのだ…。
「戸の池一丁目」

それでいて、ほぼすべての作品に、
大型スーパーの進出やら
バス停の用地買収など、
地域開発に関わる話題が絡んできます。
おそらく、いろいろな場所で
新しく生まれ変わろうという動きの
さかんな町なのでしょう。

悠子さんに焼きプリンの
作り方を教えたのは母親だった。
父親が大好物だったからだ。
二週間前に亡くなった
義父もまた、
悠子さんのつくるプリンが
大好きだった。
今日、悠子さんが
プリンを焼いていると、
義母が苦しみ始めて…。
「プリン」

古いものが崩れ去り、
新しいものが生まれる。
町がそんな動きを見せ始めたとき、
そこに住む人々の生活や
ものの考え方にも
少なからず変動が見られるはずです。
9つの作品群は、
すべてそうした変化の兆しが
見え始めた家族の生活の一場面を
切り取って提示しているのです。

小学生の陽一の家は
ごく普通の酒屋だった。
ところが母親が入院したため、
父親が配達に回る間は
店を開けることが
できなくなった。そのため、
陽一の友だちである潤の、
年の離れた姉・靖子さんが店番を
手伝いにくるようになる…。
「消毒液」

大きな事件が起きないかわりに、
目に見えないけれどもゆっくりと、
それまでのものを
押し流そうとする動きの中に、
それぞれの家族が
飲み込まれていきます。
そしてその中で折り合いをつけながら
生きていこうとしているのです。

地元の新聞社に
勤める「わたし」と、
「わたし」の父親の会社の
社員・彦さんとは、
三十年以上家族のように
つきあっている。
ある日、彦さんは、
未見坂の中途にできるバス停の、
土地提供にからむ地元企業の
争いの噂を聞きつけてきた…。
「未見坂」

あたかもすぐ身近でそうしたドラマが
展開されているかと錯覚するような
「未見坂」。
堀江敏幸の限りなく穏やかな物語世界を
堪能して下さい。

※本作品は連作短篇集
 「雪沼とその周辺」の続編という
 位置付けであり、
 「雪沼」の近くの町という
 設定であると思われます。
 何ヶ所か「雪沼」に関わる記述が
 登場します。
 「雪沼とその周辺」についても
 近々取り上げたいと思います。

※伽空の町を舞台にして、
 そこに住む人々の物語を綴った
 連作短篇集としては、
 アメリカの作家・アンダスン
 「ワインズバーグ・オハイオ」
 先駆け的存在です。
 本作品もその影響を
 受けているものと考えられます。

(2020.4.16)

丸岡ジョーさんによる写真ACからの写真

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